IT技術を活用して有権者が個々の政策に対して直接投票して意思表示するのはどうか?という発想から、いくつかの記事に分けて次の内容について考察しています。
(1)ITを活用した直接民主制のデメリット
(2)直接民主制のデメリットを克服する制度案
(3)そもそも投票率が上がらない本当の理由
(4)ITを活用した直接民主制が実現しない理由
(5)これからの議員に求められる本当の役割
(6)選挙がインフルエンサーの遊び場になってしまった理由と解決策
前回は順番が前後しましたが、上記の(4)ITを活用した直接民主制が実現しない理由について考察しました。
今回は(3)そもそも投票率が上がらない本当の理由について考察します。
選挙が近づくと「選挙に行こう」と促すテレビCMやネット広告を見かけるようになります。もちろんタダで広告できるわけがありませんのでそれなりの費用を払って、選挙管理委員会が選挙の周知に関する予算から支出して広告を出しています。投票率が上がることはそれだけ有権者の意思が反映されているということの証明であるので、一義的には喜ばしいことと捉えられますが、本音の部分では必ずしもそうとは言い切れない事情があるようです。
まずは政治家です。自身の政治生命をかけた選挙ですから当然選挙への関心は高い。しかし彼らの中には投票率は低い方が望ましいと思う人がいるのです。簡単な例で考えてみます。
どちらも人口100人のA村とB村で選挙が行われます。A村の住民は政治への関心が高く、投票率は平均80%、一方のB村の投票率は20%です。
それぞれの村に二人ずつの立候補者が出たとして、当選数1の場合、当選するにはA村では41票必要なのに対し、B村では21票でOKです。
それぞれの村に、候補者が所属する政党の党員やサポーターが10人いれば、10票は組織票として比較的手堅い得票と見込んで良いため、B村に至っては11票集めれば当選できるということになります。一方のA村では31票を集めなければなりません。
つまり、政治家(特に有力政党に所属している政治家=与党にいる政治家)は、本音では投票率は低い方が良いと思っていることになります。
つぎに選挙を取り仕切っている選挙管理委員会はどうでしょうか?投票を促す広告を打つなどしていますが、こちらも本音は「投票率は低い方が良い」と思っているのではないかと思います。
理由は簡単。投票率が低い=投票数が少ない方が、集計が楽だから。選挙では何を書いているのか分かりにくい票(疑義票)や、同姓の立候補者が複数いる場合に苗字だけ書かれると1票を同姓の立候補者数で割って得票とする案分票があったりと、細かな事務が続きます。票の数が少ない方がそうした手間が少なくてすむのです。なので選挙管理委員会も表向きは選挙促進活動を行っていますが、本気で投票率アップを目指しているわけではありません。
さらにややこしいのが、「選挙は権利であって義務ではない」という点です。
注目が集まるような選挙促進の新たな取り組みをすると、「選挙にいかないという自由を侵害する行為だ」「選挙にいくことを強制しているのではないか」という反応をする人が出てきます。こういう人を相手にしてまで投票率をあげる努力をするだけのメリットが無いということになります。
最後に有権者にとってはどうでしょうか?投票率が上がると先述したように政党(特に与党)の影響力を小さくすることができます。しかし、それによって現状よりも良い選択が出来るかどうかは、立候補者の質によるところが大きくなります。質が低ければ白紙投票も可能ですが、そういう状況下でわざわざ投票会場に足を運んで消極的な意思表示を行うほど選挙自体に対する意欲を高めるのは難しいでしょう。
現状の政治には不満があるものの、他の立候補者を支持することが良い選択とも思えない状況になると、投票しない(というより投票できない)という選択をせざるを得ない、そうした状況が繰り返されるとそもそも政治への関心が薄れて投票率が低いまま推移してしまう。すると政党(与党)の影響力が大きくなってしまう...現在の政治の閉塞感は、こうした歴史によるものなのかもしれません。