沈思黙考

日常の疑問から巡る思い

議員不要論?議員に求められる本当の役割とは(6)

IT技術を活用して有権者が個々の政策に対して直接投票して意思表示するのはどうか?という発想から、いくつかの記事に分けて次の内容について考察しています。

(1)ITを活用した直接民主制のデメリット

(2)直接民主制のデメリットを克服する制度案

(3)そもそも投票率が上がらない本当の理由

(4)ITを活用した直接民主制が実現しない理由

(5)これからの議員に求められる本当の役割

(6)選挙がインフルエンサーの遊び場になってしまった理由と解決策

 


今回は(6)選挙がインフルエンサーの遊び場になってしまった理由と解決策について考えていきます。

 

現在選挙期間中の東京都知事選挙においても、ある政党がポスター掲示枠を販売して、選挙とは無関係の内容が掲示されたり、政見放送において意味不明な言説を繰り返す候補者がいたりと、選挙の妨害行為と言ってもいい行為が各所で見られています。

以前の選挙では見かけなかったこうした人達を見て、日本人の民度が下がったなどと嘆く人がいますが、本当に以前はいなくて最近になって誕生した人達なのでしょうか?また、どうしてこういう人達が誕生したのでしょうか?

 

個人的には、今回のポスター枠販売や意味不明な政見放送は、法律が時代に追い付いていないために発生した事象だと思っています。

以前から突飛なことをする人や、選挙となると所構わず出馬する人(マック赤坂さんや、羽柴秀吉(本名 三上誠三)さんなど)は一定数いました。それでもここまで拡大しなかったのは、供託金没収という制度があることと、目立っても金にならなかったことが大きいと思います。

ところが、現代は悪名でも何でもいいので目立って名声を得て、インフルエンサーとしてYouTube等でSNSで発信すれば、視聴数に応じて一定の金が手元に入ります。熱心な応援者でなくてもレコメンドで出てきた動画を一定時間見て貰えれば、投稿者に金が入る仕組みになっているのです。

個々の視聴者にそういう意識がなくても、SNSに広告を出稿している事業者等が支払った金がインフルエンサーに入る、つまり日頃何気なく活用しているSNSで選挙における厄介な候補者を間接的に支援していることになるのです。

そして、インフルエンサーは常に動画を発信し続けなければ収入を得ることができません。また、視聴者もより新しいもの、過激なものを求めるようになります。すると、そうした欲求にこたえるために今までSNSであまり取り上げられなかった選挙というコンテンツがインフルエンサーにとって魅力的に見えてきます。調べてみるとある程度の供託金はかかるものの、自分の好きなことを掲示したり、全国ネットのテレビで述べたり出来る。更にこれまでSNSであまり触れられていないコンテンツなので、新しいものを求める視聴者を引き付けることが出来る。後はどれだけ過激なことが出来るか...という勝負になってくるわけです。

この段階でもはや地域のために行動できる人を選ぶという「選挙」についてはどうでも良いものになってしまっています。

 

解決策の方向性としては次の二つが挙げられます。①供託金の値段をとんでもない高値にすること

インフルエンサーにとって、選挙に立候補してもうまみのないものにすること

です。①については、どこまで値段をあげれば政治的な想いを持たないインフルエンサーを排除できるのか不明(いたちごっこになってしまう)、本当に政治的な想いを持っているが金がないという人にとって、立候補のハードルが上がってしまうという懸念があります。

②については、例えば今回問題となったポスター掲示や候補者全員に平等に与えられる政見放送は実施しないというものです。こちらも①と同様、想いを持っているが意見を表明する場がない候補者のハードルを上げることにはなりますが、それこそ自身のSNS等を開設して活動することは出来るわけですし、想いがあるならそれくらい出来るだろうと思います。

それでは候補者の比較をする手段が少なくなって、投票率がもっと下がるかもしれないという心配があるかもしれません。そうした事態を防ぐために、得票率が一定の割合を満たす候補者がいなかった場合、そこの首長や議員は空位とするのはどうでしょうか?これなら既存の大政党でもまずは投票してもらわないといけなくなるので、勝手に選挙の広報をしてくれるのではないでしょうか?

ちなみに現行の公職選挙法においても選挙の種類に応じて、例えば衆議院選挙であれば有効投票総数の6分の1以上の得票がなければ当選人とならないという規定があります。

ここで大事なのが「有効投票総数」というフレーズです。有権者数100人の村で定数1を争う選挙戦に2人が立候補している想定で考えてみます。投票率は10%とすると投票数は10票となります。そのうち無効票(白票や、選挙に無関係な事項、何を書いているのかわからない票など)1票を除き9票が有効投票数となります。するとその6分の1である、1.5つまり2票獲得すれば、当選人となる権利を得ることになります。

今回の想定では2人が争っているので過半数をとるためには5票の獲得が必要になりますから、実質的にこの規定は無意味ということになります。

仮にこの選挙に3人が立候補した場合の当選に必要な最低票数は5票(投票内訳は5票、3票、1票)、4人の場合は3票(3、2、2、2)、5人の場合も3票(3、2、2、1、1)...この規定が意味をなすのは、かなりの立候補者がいる乱戦かつ有効投票数がかなり少ないときという特殊な状況下しかあり得ないことがお分かりいただけるかと思います。例えばこの規定を「有権者総数の」と変えるだけでも、大きく意味が変わってくると思いませんか?

首長や議員が居なくなったら議会や行政が空転すると懸念する人がいるかもしれませんが、そもそも投票率20~30%程度のうち最多得票を得たという理由で首長や議員にすること自体、本当に民主主義を体現していると言えるのでしょうか?

その選挙においては首長や議員に値する適格者が居なかったということで、空位の間はこの連載の冒頭に提案したようにICTを活用した直接投票で進めれば良い。それでも進まないなら、事前に定める職務代理者がその範囲内において事務執行すれば良いのではないでしょうか。

 

外交や防衛といった事項は難しいかもしれませんが、地方議会では実現できるところも有りそうな気がします。

いずれにせよ、現行の制度にとらわれすぎずに法律を時代にあわせて変えていくこと、その努力は不断に行う必要があると考えています。