沈思黙考

日常の疑問から巡る思い

【書評/レビュー】十二国記『風の万里 黎明の空』から金言を紹介~あなたはあなた自身を統べる唯一無二の君主になれていますか?~

今回は、前回の記事で王道ファンタジー好きの方が初めて読む十二国記の本としておすすめした『風の万里 黎明の空』から、金言をご紹介したいと思います。

【本日の金言】

「私は慶の民の誰もに王になってもらいたい」

 

陽子が慶の国王として初めての命令(初勅)を出す際の台詞です。

陽子は、日本(十二国記の世界では蓬莱)から突然、十二国記の世界に放り込まれて、たった一人の状態から生き抜き、やっと延国の支援を得て偽王を倒し、王座に就きます(この辺りは『月の影 影の海』で描かれています)。

玉座に就けば、はい安心...と言うわけには当然いかず、『風の万里 黎明の空』で市井の民と共に悪党を倒します。悪党を捕らえて王宮に戻った陽子。「これから王宮はどうなるんだろう」様々な思惑をもつ諸官を立たせて、陽子が語りかけます(諸官が王の前で立つことも、王が臣下に直接語りかけることも、十二国記の世界ではあり得ないことです)。

金言の背景を台詞から考察

「人はね、景麒」

突拍子のない(と景麒にとっては感じられる)発言をしようとする陽子をたしなめようと声をかける景麒に対して、陽子が呼び掛けるこの感じ。本の最終盤に出てくるこの台詞に、これまでの物語で描かれている苦労を重ね合わせると、台詞がより生き生きとしてきて、台詞に体温が宿るのを感じるフレーズです。

麒麟にも様々な性格の麒麟がいて、景麒は元々言葉足らずで不器用なところがあります。肝心なことを伝えずに相手が戸惑ってしまったり(この辺りは、幼い泰麒に麒麟とは何かを景麒が伝えようとする『風の海 迷宮の岸』で綴られています)、逆に不器用なりに優しさを発揮しようとして先王を失道という破滅に導いてしまったり(陽子同様女王だった先の王は、景麒が自分以外の女性に気が向いてしまうことを恐れて「国中の女性を追放する」という命令を出します。これが天の意思に反したとして失道し、不治の病にかかります。王と麒麟は一体なので景麒も同様に病に伏すことになるわけですが、何とか景麒の命だけは救いたいと思った王が、自ら王位を降りることで景麒の命だけは救ってほしいと助命嘆願し、それが天に受け入れられて王は仙籍を外れて一般人となり、景麒の病は快復することとなりました。こうして王を失った景麒が次に王気を感じたのが、蓬莱にいた陽子ということになります)...

陽子はこれまでの経験から「麒麟であっても完璧な存在ではない」ことを悟るとともに、王以外の相手に決して叩頭(深く頭を下げること)することが出来ない麒麟と人間の違いについても深く理解することが出来たのだと思います。また、景麒への呼び掛けを通して我々読者をぐっと惹き付けるような役割も果たしていると思います。

 

「真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには、自然に頭が下がるものだ」

「他者に対しては礼をもって接する。そんなものは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうと言っているんだ」

前述した通り、この辺りは王以外には絶対に叩頭出来ない麒麟では思い至らない内容です。仁獣といわれ、争いを嫌って平和を好む麒麟が国を治めれば良いのでは?物語を読んでいる途中でふとそんな思いを抱く読者もいるかもしれません。しかしこの一文を読むと考えが変わるのではないでしょうか?

国を統治するということは、そこに暮らす人々を治めるということです。その中には裕福な人、貧しい人、賢い人、愚かな人、善人、悪人...様々な人がいます。

理想の姿、あるべき形を追求する麒麟が統治する世界は、表面的には清らかで美しい世界になると思いますが、そればかりでは息苦しい・生きていけないという人もいるのではないでしょうか?世界を構成する人が全員完璧な人というわけではないから、麒麟が体現しようとする理想郷もまた、完璧なものにはなり得ない。だからこそ、これまた完璧ではない王という存在が必要で、不完全なもの同士(麒麟と王)が互いに手を取り、前後左右に揺らぎながら少しずつ前に進んでいく。その積み重ねが国を治めるということであり、そのバランスが取れた治世こそがそこに住む人に幸福をもたらすということ、十二国記という物語が私たちに訴えかけるメッセージのひとつを感じることが出来るのではないかと思います。

 

「私は慶の民の誰もに王になってもらいたい」

「人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない。他者に虐げられても屈することない心、災厄に襲われても挫けることのない心、不正があれば糺すことを恐れず、豺虎に媚びず、―私は慶の民にそんな不羈(ふき)の民になってほしい。 己という領土を治める唯一無二の君主に」

ここで慶の国民一人一人に対して、どのようにあって欲しいかという具体的な姿が示されます。

己という領土をただ一人支配することが出来る、掛け替えのない君主になって欲しい。そしてそのために毅然と他者の前で頭をあげることから始めて欲しい。他者や周りの環境に振り回されること無く自分自身がありたいと思う人生を歩んで欲しい。

他者に阿り、環境のせいにして自分を哀れんでいても誰も助けてくれないし助けられない。そんな自分を救うのは他ならぬ自分以外には居ないのだ、ということを陽子自身がこれまでの経験を通じて痛感したからこそのものだと思います。

皆さんは自分自身を治める唯一無二の君主になれているでしょうか?またはなりたいと思えているでしょうか?日常に忙殺されて自分自身を見失ったときにこの言葉を思い出すと、きっと自分自身を取り戻すことが出来るのではないでしょうか?