今回は前回記事で紹介した『図南の翼』から、金言をご紹介したいと思います。
図南の翼あらすじ
麒麟に逢うため黄海を旅する珠晶一行。共に昇山を目指した者達と離ればなれになってしまい、珠晶のそばには、人妖に襲われた珠晶を救う時に深傷を負った頑丘だけとなっています。傷から流れる血の匂いを嗅ぎ付け、珠晶達のまわりに妖魔が集まり始めます。頑丘は最後の手段として、愛着ある自らの騎獣を囮にしてまで珠晶と共に逃げ延びようとしますが、そんな二人の前に、囮にした騎獣を連れて一人の少年が現れます。彼こそが、神から見捨てられた黄海を行く旅人が唯一すがれると言われている、犬狼真君なのでした。
犬狼真君と一夜を共にすることとなった珠晶。黄海に入った理由を問われるなかでこんなやり取りがなされます。
「玉座は子供の玩具ではない。玉座とは坐るものではなく、背負うものだ。王の責務を背負うということが、どういうことだか分かっていれば、自分が王の器だなどと、口が裂けても言えるものではない」
「分かってるわよ。国を背負えと言うんでしょう。国の民の命が全部肩に懸かっているのよね。王が右を選ぶか左を選ぶかで、万という単位の人が死んだり泣いたりするのよ」
「それを自分が、正しく果たせると?」
これに対する返答が、本日の金言です。
【本日の金言】
「そんなこと、あたしにできるはず、ないじゃない!」
恐らく、出来るといったら犬狼真君は珠晶達を見捨てたんだろうと思います。ならば自分で道を拓けと。
そんなこと出来ないと正直に言い、それでも麒麟に会いに行くことが、長年にわたって王の立たない恭という国に産まれた者の義務だと珠晶は言います。出来る出来ないの問題ではなく、やらなければいけないことがある。義務を果たさずに不平不満や諦めの言葉を吐くだけの人間にはなりたくないという珠晶のまっすぐな思いが、犬狼真君や頑丘に届きます。珠晶の台詞を通じて、私達読者にも本気で挑戦することの大切さを教えてくれているような気がします。
そしてこの後、犬狼真君のこんな台詞が続きます。
「わたしを悪辣だと思うのなら、覚えておくんだね。祈りというものは、真実の声でなければ届かない」
「本音でなければならないんだよ、お嬢さん。―そうでなければ、天の加護は得られない」
なにかに挑戦するとき、自分一人で出来るだろうか?と不安になること、誰にでもあると思います。でも、挑戦する本人が本気(真実の声・本音)であれば、それが相手に届くんだ、そして周りのみんなが助けてくれる、支えてくれるんだということを伝えているように思います。
物語を通じて珠晶には幸運が次々と起こります。頑丘や利広に出会ったこと、麒麟に会いに行こうとする仲間が大勢いたこと(20年以上王が立たず、それまでの間に大体の人は麒麟に会いに行ってしまっているので、普通はもっと少ない人数で黄海に入ることになったはずです。珠晶と共に黄海に入った人が多かったこと自体も、それだけ危険を分散させることが出来るという意味で、実は幸運なことなのです)、そして何より犬狼真君に出会ったこと。こうした幸運は、何によってもたらされるのか。元々珠晶の行いが良かったからという部分も勿論あると思いますが、それ以上に珠晶が本気だったからだと思います。本気でチャレンジする人の周りに、自然とそのチャレンジを成功に導くための環境が整っていく。利広が「天の配剤」と言う場面が出てくるのですが、珠晶の本気が天をも巻き込んで味方に付け、達成に必要な要素を配剤したのではないでしょうか。
挑戦する心、忘れていませんか?
日々を何気なく過ごしていると忘れてしまいがちな「挑戦する心」大切にしたいですね。