沈思黙考

日常の疑問から巡る思い

オープンデータってどうなった?

個人的には2015年くらいから見かける機会が増えてきたなと思っていたフレーズ「オープンデータ」。

政府や地方自治体が持つ様々な情報をデータ処理しやすい形で公開し、民間事業者等が持つ柔軟なアイデアと融合することによって、公開したデータを活用した新たなビジネスを創出するという思想のもとに整備せよという声が高まっていました。総務省が推進主体として予算も確保して、地方公共団体にデータ整備を通達したりしています。

結局オープンデータってその後どうなったんでしょう?

まず、自分自身は業務のなかで行政が公開しているデータを使って何らかの調査や分析をしたことはありません。

自分自身の生活のなかでも、オープンデータを活用して今までより便利になったアプリとかサービスとかがある実感は皆無です(オープンデータがベースにあると気づかせないようなサービスを利用しているのかもしれませんが)。

神戸市では国勢調査に基づくデータをデータライブラリを活用しやすい形で公開しています。

internet.watch.impress.co.jp

確かにすごい...すごいけど、自身のビジネスセンスの乏しさゆえかここから新しいサービスを産み出せる気が全くしないです。このデータ公開を喜ぶのって研究者位しか居ないんじゃないかな...そのために安くないコストをかけて全国の自治体が統一的なフォーマットになるようにデータを整えて、適宜更新して...必要なのかなぁ?と思っていたところ、こんな記事がありました。

 

なぜ人々は数字に騙されるのか…「統計・データ」を扱う時に見落としがちな「単純だが重大なポイント」

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ffeb329a01eb6d677bd4a8614bd4debfa9eac48

 

データやグラフとして出来上がった成果物だけでなく、その成果物のもととなる生データをどのように収集したのか?が成果物の信頼性を判断するために大切です。国が統一的なルールのもとに全国で調査して得た生データならまだしも、各自治体がそれぞれの調査で得た生データを解釈によってはめこんだオープンデータなら、そのデータを使って比較しても信頼性が高いとは言い難くなってしまいます。その辺りを懸念するからビジネスではあまり使えない。アカデミアなら元となるデータに若干疑義があっても論文としてまとめられるし、出典をあきらかにしておけば、データの信頼性を担保するのはデータ出典元となるので、万が一データに誤りがあっても研究者のせいではなく、データ出典元が悪いと言うことができる。

オープンデータが普及しない理由はこの辺りにも有るのかなと感じました。